花月(旧引田屋)の歴史

長崎の歴史と花月
江戸時代、長崎の丸山は江戸の吉原、京都の島原とともに天下の三大遊郭とうたわれ栄えた場所です。花月(引田屋)は、寛永19年(1642)に誕生しました。日本永代蔵では、井原西鶴が「長崎に丸山という所なくば、上方の金銀、無事に帰宅すべし」と当時の繁栄ぶりをうたっております。
江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場でありました。文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留し、花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残しております。昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業いたしております。
江戸から幕末、明治と長崎を舞台に活躍した国際人の社交場でありました。文人墨客も数多く訪れ、なかでも頼山陽は3ヶ月にわたって逗留し、花月を「養花山館」と名付け、篆刻(てんこく)も残しております。昭和35年には長崎県の史跡に指定され、全国的にも珍しい「史跡料亭」として営業いたしております。
集古館のご紹介

掛け軸:坂本龍馬の肖像画
集古館について
映画「長崎ぶらぶら節」で有名になった名妓・愛八直筆の歌本や写真、向井去来の俳句 や頼山陽の書、坂本竜馬直筆の書などを展示しております。